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全日本プロレスとプロレスリング・ノアは、「PRIDEとは交わらない」という方向性を堅持し、プロレスで勝負しました。新日本プロレスはK−1ともPRIDEとも交わりました。これは団体の色だから、メジャー3団体がとった行動は、どれも正しかったと思います。 フリーの高山善広もPRIDEで激しいファイトを展開しました。PRIDEのリングに上がっても、高山選手がしたことは、確実に「プロレス」でした。ここは重要な部分だと思います。 ドン・フライとの一戦では、負けても光る試合をして、大拍手を浴びました。当時はサッカーのワールドカップ日本開催で、日本中がサッカー一色で湧き上がっていました。ところが、ドン・フライも高山善広も、ともに、「ワールドカップを超える試合をやってやる」と決めてリングに上がったそうです。この心意気がプロレスラーです。 武藤社長は、「プロレスとPRIDEは野球とサッカーくらい別物」と言いました。元祖プロレスLOVEの武藤社長は、プロレスラーが次々負けて、プロレスは弱いと勘違いされるのががまんならなかったのでしょう。GK金沢さんとケンカするほどプロレスをかばいました。確かにイチローがサッカーの試合に出てミスだらけでも、だれもイチローを弱いとは思いません。ならば、PRIDEのリングで勝利を飾った藤田和之やケンドーカシンは、Jリーグでシュートを決めたプロ野球選手ということになります。 PRIDEは実はプロレスラーが盛り上げてきたのです。もしも桜庭和志や田村潔司、あるいはジョシュ・バーネットがいなかったら。藤田、石沢、高山、谷津、近藤、アレク、ドン・フライ。だれも出場していなかったら。ただ専門的な、技術的な試合になり、イベントとして成立させるのに苦労したと思います。その事実一つとっても、プロレスラーのエンターティナーとしての素質は高いわけです。 事件性もプロレスならではです。PRIDEで高田延彦がヒクソン・グレイシーに敗れたとき、前田日明が怒りを爆発させて、大勢の記者の前で叫びました。 「あんたら、リングスがどうの、パンクラスがどうのと言ってる場合じゃないよ。高田が負けたよ。いま、日本マット界が地盤沈下してるんだよ。あんたら、マット界に食わせてもらってるんやろ? どうすんねん! ええっ! どうすんねん! ふざけろよ、お前ら! ぶち殺すぞ、コラッ!」 そして、自分がヒクソン・グレイシーとやると公言したのです。「本当の喧嘩を俺が教えてやる」「絶対に逃さない」と。これも強烈なプロレスLOVEです。 デビュー前から修羅場をくぐってきたデンジャー前田。永田裕志に対して上井さんが、「永田は前田日明の怖さがわかっていない。ヘタに噛みついたら殺されるぞ」と警告していますが、これは宣伝用でも何でもありません。今の日本プロレスは、命を懸けた先駆者たちが築いたものです。私としては、ハッスルが10回連続公演を成功させたら、はじめて興行として無視できない存在と感じるでしょう。力道山時代と馬場・猪木時代。2回あったプロレスブームの凄さは、ハッスルの比ではありません。 長州力が他国のアマレスの大会に飛び入り参加し、優勝してしまったり、谷津選手が全日本のアマレス選手権に特別出場して、見事優勝してしまう。こういう武勇伝で世間の目を振り向かせたのも、昭和のトップレスラーでした。二人とも五輪。世界レベルですから。アマ・レスラーにプロ・レスラーが負けるわけにはいかない。この根性を称えたいわけです。長州力の、「死んでも負けられない」という真剣な表情は、今でも脳裏に焼きついています。 とにかく、ハッスルについて、専門誌やファンの意見がクローズアップされていますが、ぜひ関係者やプロレスラーの意見も聞きたいところです。 昭和の時代。「UWFはプロレスか?」と大まじめに議論していたことを思い起こします。プロレスファンに考えるなということは、競馬ファンに予想するなと言うのに等しいです。専門誌の意見が正しいわけではないし、そこは100人100色です。 私の愛読書『迷宮ファイル』(あの事件はいったい何だったのか!?)の中に、先ほどの前田事件が載っています。この一冊の中にプロレスラーの怖さが詰まっています。プロレスから「怖さ」を取ったら、物足りないですね。 |
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